2012-11-20 Tue 08:37
ウノウとZyngaJapanは別の会社だし、ウノウも時期によっていろいろだったよという話
この記事は「全くもってAdvent Calendarじゃない」と評判のUnoh Advent Calendarに参加しています。一日遅れたけど…
こういう話は内輪の酒の席でいいじゃないのかと思うけど、「ZyngaJapanが閉鎖されるかも(現時点でそのような公式アナウンスはありません)」という話題が持ち上がった時に、目に付いた「ウノウもこれで終わりか」とか「ウノウの人たちどうなるの」みたいな論調には違和感が強いので、あえて過去を振り返ってみることにしました。
ウノウとZyngaJapanは別の会社だし、そもそもウノウという会社も時期によって大きく姿を変えてきたんだということを、勝手気ままに振り返ってみようというのがこのエントリの趣旨です。
第一期
創業から2006年ぐらいのイメージ。
「映画生活」「フォト蔵」のふたつを柱に、エンジニアが何でもかんでもやってたっぽい時期。自分はこの時の中のことを知らないけど、会社にエンジニアしかいなかったので事務仕事やバックオフィス系の雑務も何もかも全てエンジニアがやっていたと聞いた。
ラボブログの被ブクマ数は、実はこの頃が一番多かったっぽい。まだ世の中が情報過多になる前のこの時期にブランドを確立したことは、大きなことだったのだろうなと改めて感じます。
第二期
2007年から、「まちつく!」立ち上げぐらい。
人が一気に増えた
その後、ZyngaJapan期までを支えることになるエンジニア達の入社もこの時期
「映画生活」売却
事業の大きな柱を手放し、次のステージを模索していた
「PHPの会社」というイメージが定着したのはこの時期で、毎日いろんな人が入れ替わり立ち替わりラボブログを更新していた。
自分が在籍してたのはこの時期の中盤あたりで、社外プロジェクトやってました。
あんまり知られてないと思うけど、当時のウノウは社外の面白そうなプロジェクトにエンジニアを出すということもしていました。
ユニークなのは「こういうプロジェクトがあるけど、誰かやりたいですか?」と聞いて、誰もいなかったら案件自体をお断りするというスタンスだったこと。
この体制の象徴的なエピソードは今をときめくgumiが危うく立ち上げ損ねかねなかった事案でしょう。当時の様子が「起業は若いうちにやればやるほど得」『Zynga Japan』山田進太郎×『gumi』国光宏尚対談レポートで赤裸々に語られております。
坂田くんという架空の人物のことはよく分からないけど、GoogleもPythonだから仕方ないですね。
第三期
ソーシャルゲームで業界が一気に動いた時期。2009年秋、mixiアプリのモバイルプラットフォームが産まれ、独立したサービスとしてコツコツやってた「まちつく!」がそこで大当たりする。この時に一気に「まちつく!」にリリースを寄せてSAPとしての地位を確立したスピード感はかなりのものだったように思う。
この時期、自分はサーバ構築屋として非常勤で週2〜4回ぐらい顔を出してて、少し離れたところから中のことを見ていました。
人数もエンジニア以外も合わせて20人ぐらいだったのが、一気に増えて、ZyngaJapanになるまでの1年足らずで50人を超えるまでになってた。
社内の体制も今までは、各エンジニアが独立採算的なよく言えば自律的な、悪く言えば烏合の衆みたいなものだったのが、この時期には「俺たちはチームだ」という意識が強く働いていたように思います。
そうでなければ恐らく破綻していたし、この時期にそういうマインドを持ったエンジニアが在籍していたことには巡り合わせの妙を感じざるを得ません。
この時期はラボブログの更新も週一がルールになって、やや盛り下がった印象ごあったのだけど、
を見ると元気に更新されてましたね。思い込みイクナイ。
ZyngaJapan期
そして売却後。この時期のことは知らないので、何とも言えない。
自分はこの買収と時を同じくして離れたのだけど、それは本当に偶然で、3ヶ月ぐらいかけた離れる計画を立ててたら、途中でいきなり話が出てきてあらあらという具合でした。
ラボブログが本当に更新されなくなって、外から見えなくなったのは残念だなぁというぐらい。少なからぬ人にとって「ウノウ=ラボブログ」という認識があるはずなので、そういう意味ではやはりZyngaJapanとウノウは全く別の会社として考えていいと思う。
ウノウ時代からの人ももちろんいたけど、半数以上の人は最初から「ZyngaJapan」に入ったと思われるので、あまりウノウウノウ言うのもおかしいんじゃないかというのが個人的な見解です。
まとめ
とまぁ独断で好き勝手に切り分けてみたのだけど、だいたい合ってるのではないだろうかと。
あなたにとって「ウノウ」とは、どの期が思い起こされますか?
それぞれの期で半分ぐらい中の人が入れ替わっていて(ZyngaJapan期は憶測)、新陳代謝の活発度としては悪くない線をいってたと思います。多すぎず、少なすぎず、人は動くけど現場が破綻しない程度のさじ加減。それは間違いなく、根幹を支えていたコアメンバーたちの力によるもので、彼らの尽力たるや、そりゃもうたいへんなものだったわけです。
今はもう皆それぞれの場所で素敵に活躍しているので、一部で観測された「ウノウ復活させればいいんや」的な時計の針を巻き戻すような論調はむしろ夢がないと断言します。
ZyngaJapan期はよく知らないけど、それなりに入れ替わりはあったようだし、ここ一年はコアメンバーの離脱も結構ありました。
なので、今回ZyngaJapanがもし閉鎖されたとしても、皆が知ってる「ウノウの人たち」は大半は既にいないわけです。今も残っているエンジニアたちは、自分が知っている人たちについては強者たちしかいないので「会社が閉鎖なんて気の毒」とか「これから彼らはどうなるんだろう」なんて心配をするのはむしろ失礼なぐらいなので、今までお疲れさまというだけです。
ZyngaJapanという会社に来た人たちとは全然交流がないので分からないけど、彼らのことを案じるならばウノウではなくZyngaJapanに思いを馳せて欲しいし、ZyngaJapanがこれまで積み上げてきたものを評価するのが彼らに対する礼儀ではないかと思います。
まとめのまとめ
- 皆それぞれ元気でやってるんだからそれでいい
- ZyngaJapanはZyngaJapanとして頑張ったのだから評価されるべき